2012年3月14日水曜日

ふと思うこと。2012年1月31日 〔カーデザインとプロダクトデザインについて〕

カーデザインとプロダクトデザインについて、エマヌエレ・ニコジアとディスカッションしまして、
また考えてみたことがあるので、書きのこしておかなければ!


以前、デザイン言語としての違い、クルマとプロダクトのデザイン傾向について、書いてみた記事
〔今回との私の見解の違いなど、読みたい方はこちらまで!→「ふと思うこと。2010年5月18日」〕がありますが、


今回は、クルマ、プロダクト、建築を、
所有者の気持ちや関係、距離感という切り口で考えてみたいと思います。


ニコジアも、カーデザインとプロダクトデザインの違いをこう感じていました。

プロダクトとクルマとの違いって、物体として、比較的、静的なものですよね。
〔造形や機能に動的な存在感を持たせたりすることはありますが・・・。〕
クルマは、動的なものなんです。


私も前回の記事のように、こんなことを考えていました。
自動車デザインとモノ、家具や空間デザインとは、互いの歩み寄りがあるとはいえ、根強く違いがあるものです。ダイナミック〈動的、躍動感がある〉かスタティック〈静的、安定している〉かという基本的なモノの在り方の違いがあります。
そうそう、プロダクトのユーザーはそこに在るプロダクトの周りをめぐって、じっくり眺めたり、
自分から触りにいって、手にとって、使ってみることができます。
産業革命以降、所有する時間は短くなり、不景気やエコが叫ばれ始めた今、
日本には古くからあった侘び寂びに代表されるサスティナビリティを、
コンシューマープロダクトにも求めるようになり、また所有の時間は伸びていきました
ただ、身近なモノ〔ロボット以外〕が自分からアプローチしてくることはマレです。
建築はといえば、ユーザーが大きな金額を個人として投資し、
自分の希望どおりにその空間に入りこみ、ユーザーはその空間に囲われて住まい、
その空間を自分のものにするよう、時間をかけて関係づくりを愉しみます
その関係は家族の何代にも続き、パブリックや文化になんらかの影響を与えます。
この引用を
「建築とは、ほとんどの場合はだれもがその存在を外から目にすることができ、おのずと公(おおやけ)になることから、本来パブリックな性格をもっています。
パブリックな性格をもつことの意味をチャーチル元英国首相は「私たちが建物をつくるが、 その後は、建物が私たちをかたちづくる」という言葉で残しているように、実は、建築や街によって、私たち自身が大きな影響をうけているのです。 
  
http://www.1101.com/skytree/2010-03-09.html
しかし、建築はユーザー側に動いて自分に向かってやってきたりはしません。
動きがないのです。
確かに、いろいろ朽ちてきたり、色がついてきたりして修復を求めてくることはありますが!
クルマは、どうでしょうか?
以前の記事のように、クルマはニコジアがいうには、以下の2点、


コストの大小という軸とライフサイクルの長短という軸
の他にもうひとつ、静、動があると。
私は、これをユーザーとの関係というものとして捉えたいと思っています。
ユーザーを中心として、対象に、または対象がどうアプローチする関係なのか。
プロダクトは人に運ばれたりしますが、その中に入るのは
クルマは人と離れたり近づいたりすることが自由です。
人の前に勝手やってきては見送るなんてこともありえます。
ユーザーになると自分が中に入って、他者に向かって近づいくというアプローチを持っています。


自分の体の延長ともいえるんではないでしょうか。
だからこそ、顔があったり、表面が動物のようであったり、名前がついていたりするんでしょうね。


バイクなんかもこういう感じなんでしょうか。
ただし、住まうという要素はまったくなくなってくると思いますが。


これからもこういうことを考えていきますので・・・。はい。



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