先日、お問い合わせのあった、ある産業機械メーカーさん、
自動車デザインがメインのうちのスタジオを買ってくださっている。「産業デザインだけやっている産業デザイナーとはアウトプットが違い、うちのイメージにあう。自動車デザインで業績をあげているだけに、是非お願いしたい!」との熱いラブコール。産業デザインがいい、とか自動車デザインがいいとか、そういう論議ではないのだけれど、よく考えて経営されている方なのだなと、本当に感心して、このお客さんだったら、きっといいプロジェクトができるだろうと、とても興奮しているわけであります。
ただ、こんなことから、また連想への長旅が始まってしまいました〈笑〉。
全くとんで、先日の
ミラノサローネで、大変著名で多くの素敵な商店インテリアデザインや家具のデザインを手がけてらっしゃる建築系デザイナーさんと、お話させていただいたことを思い出しました。「実は、ちょっと一緒にお仕事があったんだけれど、僕はああいうスケッチ〈きっとパサデナ系のアートカレッジ出身者が往々にして持っているクセのことをおっしゃってるのでしょう。〉、ちょっと苦手なんです。こう、ホイールとか地面にとけてて、リアランプとかこう帯ひいてて、びーーってライティングがかっこよく、もうそれこそビーって入っているの。」はい、アイデアスケッチ段階なんか、もうまったくそのとおりです〈笑〉。もうかっこいいだろーってカーブとかきつくしたり、マスの盛り上がりとか強調しまくりだったりします。はい。で、ちょっとホイールとか大きめでもう「走る感」満点です。そう、あくまで個人的で、おうし座だけに牛歩なみにスローな
ミラノサローネのトレンドレポートの導入部分にも書いたが、
自動車デザインとモノ、家具や空間デザインとは、互いの歩み寄りがあるとはいえ、根強く違いがあるものです。ダイナミック〈動的、躍動感がある〉かスタティック〈静的、安定している〉かという基本的なモノの在り方の違いがあります。
でまた、話は変わるのですが、随分と前に
TwitterでTLに流れてきた、エンジニア畑のデザイナー、石垣陽さんが書かれた、以下のブログの記事を読んだこともあって今まで漠然と頭の中で言葉になっていなかったものが、しっかりと胸におちてきたからなのです。では、以下は引用です。
デ ザ イ ン 思 考 / d e s i g n - t h i n k i n g: デザイナーのファッションセンスについて。
〈省略〉
世の中のたいていの人が誤解しているけれど、「デザイナーは決してオシャレではない」。これからデザイナーと恋に落ちたいと思っている人のためにリストアップをしておくと、
- Web、パッケージ、グラフィック系の人はオシャレである。
- 建築、インテリア系の人はオシャレであることを嫌がって、真っ黒か真っ白の服を着ている。
- プロダクト、インタフェース、情報系の人は非オシャレである。
- テキスタイル、ファッション系は、ひどい。
だいたいこんな感じだ。
オシャレである事というのは、パタパタと変わるモード、すなわち常に他人との差異を生み出し、目を惹く組み合わせを追い求めることである。Webやパッケージ、グラフィックデザインは、どこかそれに通じる匂いがする。
建築系の人は、建造物の特性上、モードの進化が桁違いに遅い。だからいわゆるファッションは、認識はするものの、自分とは波長の違う世界だと思っている。だからより伝統的で普遍的な服、真っ黒か真っ白の服を着ている。彼らが多かれ少なかれ伝統(モダニズム)に縛られてている点も関係しているのだろうか。
かつてのプロダクトデザインは、体中が泥だらけ、粉だらけ、グラスウールだらけになる分野だったので、そもそもファッションとは関係がない。また、今はコンセプト、シナリオ、ユースケースを考える分野になりつつあり、プロダクトそのものの彫刻的な価値ではなく、プロダクトを通じた見えないユーザーとのインタラクション、デザイナーの指先の、さらにその先をデザインしている。すっかり定着したアフォーダンス、無意識、ストーリーデザインといった手法は、形のないものを相手にするインタフェースデザインや情報デザインとの親和性が高い。そこでは色や造形はあまり興味の対象とならないし、どちらかというとケガれたものだと思われやすい。オシャレの記号を知っていても、それを避けているのである。だからみんなダサイのではなくて、「非オシャレ」である。
テキスタイルやファッション系のデザイナーは、モードの「その先」を見つけ出すのが役目なので、当然のことながら現代のモードが「オシャレ」だと思っている我々一般人からみると、そのファッションは奇異なものに写る。だから、普通のオシャレ感覚の人には理解できない。
〈以下省略〉
いやーなるほどー鋭い。この記事にめぐり合い、私、今ではすっかり購読者。ま、それはともかく、私の知っている車系のデザイナーさん、普段の仕事場ではもう、比較的使えて永続的に着れるものを着ている人、または、無難で間違えのない黒白ルーティンとかで、その上連日連夜徹夜で目の下にクマくっきり、おしゃれのためよりホンモノの無精ひげをちょっと刈り込んでいるという方が多いのです。あ、これはすっごい暴露だ。でも、一概にはいえないのですと、一応…。で、ここで仰っているように、
彼らがコストの大小という軸とライフサイクルの長短という軸の上で、小と短にいくにつれて、仕事のアウトプットでもおしゃれという私的なアウトプットでも、一方が、変わらない独特の持続性を求め、一方でディテールの動きや構造や構成での奇抜さを追求する気質が強くなってくるのかなと。あ、でも、コストの大小は結構な割合でライフサイクルに比例するけれども。もう一本軸がありそうですねー・・・。マーケットボリュームか?いやーそうなると、ファッションとかどうなるんんだという話だし・・・、ま、今の時点ではこれは置いておきましょう。
もとい、
ただ、以前にも言ったように、車自体、走る喜びだとかガソリンの香りをかぐと興奮するとかそういう時代から、悲しいながら様変わりしているという、世界全体での生活者のマインド転換があって、より、嗜好品であるうよりも生活の一部として、輸送機関という本来の意味合いを取り戻して、現実生活に近寄らなくてはいけなくなっています。なので、
「移動に使われるモノ」「移動中滞在する空間」というキーワードで、自動車デザインとモノ、家具や空間デザインとの間がよりますます近くなってきている。そんなことを長々と、考えておりました。
ここで、最後に、うってかわって、産業デザイナーが自動車をデザインするとどうなるのか、自動車のバックグランドがあるデザイナーがモノのデザインをするとどうなるのか拝借した写真で、ちょっと比較して見てみると面白いかと思います。たたずまいが違います。
モノ的表現×クルマ
マーク・ニューソン「フォード021C」1999年東京モーターショー
クルマ的表現×モノ
ピニンファリーナ・エクストラ 「ラヴァッツァ LB1010」
次は、だいぶ最近のモデルなのですが、ちょっとモノ的になってきています。
歩み寄りの傾向があったりして・・・。
ピニンファリーナ・エクストラ 「ラヴァッツア Espresso Point」
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